2016/03/18

水面

 夏の太陽の光りを、きらめかせている、プールの水面。
 プールの片隅にある、どっしりした、大きな木。

 その木は、地面から、吸い上げた水を、葉の表面で、蒸発させる。
 熱は、気化熱となり、木は、傍らの人間を、涼気で、包む。

 信男は、木陰で、気持ち良さそうに、眠っている。
 早朝練習、午前中の練習を終え、昼食には、カレーを食べた。旨味しかった。

 人の気配がする。信男は、目を覚す。先輩だった。
 起こしてしまったようね。私も、ここで寝ていいかしら。
 信男は、黙って頷く。

 先輩は、スイミング・タオルを広げると、信男の側に、横たわった。

 木の周りでは、風が、吹いている。葉が騒めく。
 信男は、目を閉じた。気持がいいなあ。

 先輩の身体が、信男の身体に触れた。
 信男は、少し考えた。身体をずらす。また、触れてくる。信男は、そっと身体をずらした。

 ふーん。
 先輩の声が聞こえた。その声には、軽侮の響きがあった。

 自尊心を傷付けられ、信男の顔が、さっと赤らむ。
 僕は、どう振る舞うべきだったんだろう。
 それでも、信男は、眠ってしまったらしい。

 さあ、練習よ。
 先輩の凛とした、声に起こされた。
 目を開けると、先輩の微笑んだ顔があった。

 信男は、自由型の長距離選手だった。
 午後の練習は、100mを30本、10秒休みで、5セットやる。かなり、辛い練習だ。

 練習は、3セット目に入っている。着いた途端に、マネージャーの冷酷な、秒読みの声が、聞こえる。
 ・・・5、4、3、2、1、ゴー!

 信男の頭の中には、先輩のことは、もうなにも無い。
 水面の輝きだけがある。

1995/08/26