2016/03/10

伝説

 フィリップ候は、勇猛をもって、諸国に知れ渡っていた。

 人々は、敬意を表して、彼のことを、ただ、ナイトと呼んだ。この呼称には、人々の茶目っ気も混ざっていた。候の王妃に対する、純粋な熱愛も知れ渡っていたのだ。

 隣に接する敵国は、候の仕える国が、欲しくてたまらなかった。この国を手に入れることは、王の中の王になる道を手に入れることを意味する。最大の障壁となるのは、フィリップ候だった。

 敵国は、王妃をさらった。王は、莫大な身の代金を申し出たが、敵国は、受け入れなかった。敵国は、候を要望した。候は、王妃への愛故に従った。

 敵国で、候が会ったのは、王妃の首だった。候は、号泣し、怒り狂った。10人以上のもの、護衛兵が、素手で、葬り去られた。

 押さえ付けられた候は、両手両足を鎖で繋がれ、光りの差さない地下牢に閉じ込められた。地下牢に閉じ込められた候は、食べ物はおろか、水さえもほとんど取らなかった。

 敵国にとって、候のいない国は、赤子も同然だった。

 勝利の日、敵国の王は、部下に、フィリップ候を連れてくるように命じた。王は、捕らわれの候を見ることによって、勝利を実感したかったのだ。

 候が、広間に姿を見せると、王は、躊躇なく、候に近づいた。両手両足を鎖で縛られ、食べ物をほとんど口にせず衰えた候に王は、なんの警戒心も持っていなかったのだ。
  王が近づくと、候は、身を屈め、何事かを呟いた。王は、聞き取ろうと、頭を下げた。その瞬間、候の両膝が、撥ね上げられ、王の顎を捉えた。同時に、降り下ろされた、両肘が、王の頭頂を襲った。骨が、破壊された音がした。候には、それが、天使の歌声に聞こえた。

 呆然とした人々を広間に残し、候は、城の窓から身を踊らせた。候の身体は、暗い河に呑み込まれた。
 その後の候の行方は知れない。

 こうして、フィリップ候は、伝説の人となったのだった。

1995/05/15