2016/03/08

秋の海

- 恋に悩めるものは何と幸せなこと - 『バイレロ』Rei Tsushima

 恵子は、突堤を歩いている。

 あの日の光景を目に浮かべてみる。

 あの人は、子供と歩いていた。あの人は本当に楽しそうだった。子供達も心から笑っていた。恵子は徹底的な敗北感を味わった。この楽しさを壊すことは誰にもできない。

 恵子は、その時から愛する人と会うのを止めた。それは、苦しいことだった。一目でいいから顔を見られればなあ。そう思い、涙が止らない時もあった。どうしてこんな苦しい思いをしなければならないんだろう。

 愛について考えてみた。愛とは、その人の幸福を考えること。そんな考えが、恵子の支えになった。そして、この苦しみを生きる伴侶にしよう。そう思った。実際そんな風にして恵子は生きてきた。

 そこまで考えて、恵子は立ち止る。

 今はその苦しみさえない。ある日、その苦しみが消えていた。失って始めて、その苦しみがどんなに大切なものだったかが分かった。それは、恵子の人生における一輪の薔薇の花だった。

 私にはなにも無い。秋の海は、夏の濁りを追い払い、きれいに澄んでいる。恵子は、透明な揺らめきをいつまでも見つめた。

 なんにも無いところに来てしまった。

1994