2016/03/08

電話

- 生きていく上で辛いことは、いろいろある。でも、一番辛いことは、愛する人から心を閉ざされることだ -

 電話をする。あの人の声がする。名乗る。挨拶をする。返ってくるのは、優しい丁寧な言葉。しばらく話をする。

 いや、会話というよりは、僕の独白だ。僕の耳に聞こえてくるのは、優しい丁寧な言葉だけだ。その言葉に感情はない。暗闇に向かって話しかけたような気持になって、電話を切る。

 昔は、あんなにも無邪気な笑い声を聞かせてくれたのに。どうして、こうなってしまったのだろう。愛が憎しみに変わり、いまは、価値のない人間として拒絶されている。

 僕は、愛に傷付き心を閉ざしてしまった。愛を育てる強さを持てなかった。僕に残されたのは、あの人への愛だけだ。そして、あの人は、僕に対して心を閉ざしている。

 身体の中が虚ろになる。生きていることと、死んでいることの区別がつかなくなる。心を閉ざしてしまった報いだ。

 目を閉じる。心を覗く。光はない。僕は、暗闇の中でも生きる強さを持てるようにと祈る。

1994