2016/03/11

死の本能

 11月、パリ、早朝。
 空気は、冷え込み、やがて来る冬の寒さを予告していた。

 ここは、北門、ポルト・ド・クリニャンクール。路上に、車が止まっている。男と女とプードル犬。

 女が、口を開く。あなたの自伝を読んだわ。男は頷く。ともかく、題名は最低ね。「死の本能」。男が呟く。あなたの望みは、死ぬこと?女は、男の顔を覗き込む。

 男は、タバコを取り出す。マッチで火を点ける。窓を小さく開く。冷たい空気が、入ってきた。題名は、出版社の人間が付けた。そのほうが、売れるからだ。

 男は、タバコを消し、窓を閉め、ヒーターの温度を上げた。女の付けている香水の香りが立ち上ってくる。カボシャール。いつも、女は、この香水を付けていた。飽きの来ない不思議な香り。強情っぱりか。この女には、ピッタリだ。

 車は、静寂に包まれている。その静寂さの中で、パリ警視庁のライフルの照準器が、男を捉えている。

 ライフルの数は、4丁。引き金が引かれる。
 4つの方向から、4つの弾丸が、男に向かう。4つとも、男に着弾する。

 1つが男の体内に止まり、あとの3つは、男の体の中を周遊した後、飛び出した。
 その内の2つが、女とプードル犬を襲い、1つは、車の天井を突き抜けた。

 男の体は、着弾のショックで跳びはね、車を揺らす。
 静寂が、戻って来る。
 静寂の中で、ウィンドウを真っ赤に染めた、車が揺れている。

 やがて、その揺れも止まった。

  1. 公敵ナンバー1ジャック・メスリーヌが、1979年11月2日、パリの路上で、愛人、プードル犬と共に、パリ警視庁によって射殺されたこと
  2. 彼に、「死の本能」という自伝があること

   以上の2つは事実です。

1995/06/02