2016/03/08

義手

- 闇の中の光り。それが僕にはより完全なものと感じられるし、希望を思わせもするんだ - ティム・バートン

 健太の祖父の左手は義手だ。健太と祖父は、「親友」と言ってもいい間柄だったが、健太は、その左手のことについて聞いたことはなかった。それが礼儀だと知っていた。

 秋の気持ち良く冷え込んだ朝、散歩を終えた健太と祖父が縁側に座っている。祖父は、天気のことでも話すように何気なく話し始めた。

 健太は、俺の左手のことについて聞いてこないな。健太は、少し祖父を見つめた。お母さんが言っていたよ。聞くべきことと、聞くべきでないことがあるって。

 祖父は、目を閉じた。あの人らしいな。それから、祖父は話し始めた。

 祖父は、猟が好きだった。ある山村に立ち寄った。長老に招かれた。招かれた部屋には、美しい狼の毛皮が飾られていた。祖父は、嫌な気がした。狼を尊敬していたからだ。

 その部屋で、狼を退治してくれと頼まれた。村人が何人も襲われている。村人は、そ奴を「死神」と呼んでいる。祖父は承知した。

 山に入った。風を感じた。影が走った。ドサッとなにかが落ちる音がした。祖父の左手だった。祖父の右手に魔法のようにナイフが現れた。狼は動きを止めた。空気の密度が一気に上がった。動きを少しでも誤れば殺られる。

 目と目が合う。狼の目には大きなものを失った悲しみがあった。同じ悲しみを狼は祖父の目に見た。祖父も妻を亡くしていた。ナイフの切先が下がる。狼は尾を軽く振った。それは共感であり励ましだった。祖父と狼はもう一度目を合わせた。そして、別れた。

 祖父は、長老の家に忍び込んだ。そして毛皮を持ち出した。これは、狼の妻だ。祖父は山に入り、その毛皮を山に埋めた。

 風を感じる。それは優しい感触だった。来たか。お互い頑張ろうな。風が去る。

 それ以来、村人は「死神」を見ることはなかった。

 俺がまだ若かった頃の話だ。

1994