2016/03/09

 山の奥深く、湖がある。
 深い深い湖で、真夏には、氷の冷たさを感じさせ、真冬には、母親の肌の温もりを感じさせた。湖は、周りを一定の温度に保った。

 湖の周りは、緑が豊かで、生き物たちの天国だった。時に、人間が迷い込んできた。そんな人間は、湖の底知れない青に目を奪われ、周りの自然の美しさに驚いた。

 しかし、人間は、自然を破壊するものだ。だから、人間が現われると、湖の、底の底から、黒い影が浮かび上がってきた。湖の表面は、騒めき立ち、反対に、周りの自然は、鳴りをひそめた。湖の上空を、真黒な雲が覆い始める。雲は、不吉に渦を巻く。人間は、怖れをなして、逃げ出す。黒い影は、また、湖の底の底へと戻る。

 黒い影の正体は、大きな大きな魚だった。その大きな魚は、あまりにも長い間生き過ぎて、もともとは、自分がなんという魚だったのかさえも忘れていた。
 魚は、気にしなかった。そもそも、あまりにも大きくなり過ぎて、自分がもはや魚ではないのではないかとさえ、考えていたからだ。

 魚は、湖から一歩も出たことがなかったが、非常な物知りだった。
 水は、いろんなところを旅してくる。そして、雲となり、雨となり、湖に降るのだった。その水から、魚は、世界中のことを学んだ。

 魚は、その知識から、1つの掟を作った。
 自分が住んでいる世界に、決して人間を入れないこと。人間とは、要するに破壊するものだ。魚は、自分が住んでいる世界を愛していた。人間を寄せ付けてはならなかった。こうして、守護神が誕生したのだった。

 いまや、美しい自然は、山奥の、守護神のいるところにしか存在できなくなった。

 あなたは、それを進歩と言う。僕は、ただ肩をすくめるだけだ。

1995/05/09