20世紀初頭、まだ映画は、1つの産業として、確立されていなかった。
しかし、その産業を独占を独占しようとする戦いは、すでに開始されていた。
エディスン社は、当時のアメリカで、最も有能な法律事務所、ダイヤー・アンド・ダイヤー事務所を使って、1897年、特許戦争を開始した。
映画をレンタルしたり、上映したりする者は誰でも、エディスン社に特許料を支払わなければならない。
エディスン社は、1通の発明特許によって、映画産業の独占を図ったのだった。
エディスン社は、1908年1月、アスター・ホテルでの主要映画会社との契約によって、輝かしい勝利を得た。
その契約は、販売したフィルム1フィートにつき、2分の1セントをエディスン社に支払うことを取り決めたものだった。
1909年には、エディスン社は、120万ドルの収益を手にした。
重要なのは、1908年12月に、ニューヨーク、ブリーヴァート・ホテルで結ばれた、契約だった。
その契約に署名した9社以外は、アメリカで、1フィートたりとも、フィルムを作ったり売ったりできない。
カルテルが形成され、魔術師エディスンは、満面に笑みを浮かべた。
しかし、勝利は、長続きはしなかった。
カルテルに反抗した、興行者たちは、早くも、1909年3月、独立映画連盟という同盟を設立し、カルテルに宣戦布告した。
カール・レムリとパトリック・A・パワーズという闘争好きの男たちが、喜々として戦った。
独立映画連盟は、リュミエール社とコロムビア映画社を加盟させ、カルテルを急速に崩壊させた。
屈服してしまう者もいるが、強大な力に、戦いを挑む者もいる。
レムリやパワーズのような男たちが、社会を活気づける。
1995/08/11